院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


となりのトトロト


 白衣を着るときには、きっちりとネクタイを締める。患者様に対して、礼節を尽くし、また医師としての威厳を保つというポリシーもあるのだが、個人的な事情もある。私は少し日本人の顔の造形からはずれたところがあり、ラフな格好をするとイタリア系の移民か、はたまたフィリピンのバンドマンと間違えられてしまうおそれがある。新患のお年寄りの方に「日本語が上手ですね」といわれたこともある。そこでネクタイを締め、まじめな勤務医らしく振る舞うのである。お気に入りはトトロのネクタイで、十本以上持っている。トトロとは日本アニメ界の巨匠、宮崎駿氏の映画、「となりのトトロ」にでてくる狸のような生き物。意外と思われる方もいるかも知れないが、私はトトロのファンである。子供がトトロ好きなので・・といった消極的なファンではなく、トトログッズも自ら厳選する、かなり積極的なファンである。トトロフリークといってもいい。
 私のファン暦は長い。一九八四年の「風の谷のナウシカ」、一九八六年の「天空の城ラピュタ」で宮崎駿氏の存在に注目した私は、一九八八年、これまでの冒険活劇路線から百八十度転換した「となりのトトロ」にすっかり嵌ってしまい、誰かにプレゼントをする振りをして自ら60cmの大きなトトロのぬいぐるみを買った。その晩はうれしくて抱いて寝たことを密かに告白する。


 さて、前置きが長くなってしまったが、映画「となりのトトロ」はまさにわが心のマスターピースである。物語の舞台は昭和三十年代のとある田舎。さつき(十一歳)とメイ(四歳)そして考古学者のお父さんが引っ越してきた家は、長いこと誰も住んでいなかったボロ屋で、近くに大きな楠がある。朽ちかけた白いパーゴラやタイル張りの五右衛門風呂、手押しポンプのある井戸が郷愁を誘う。その家には煤わたりと呼ばれる真っ黒くろすけが沢山いて、さつきとメイが勝手口や屋根裏部屋を開けるたびに、天井や壁に逃げ惑う。「お父さん!この家やっぱり何かいる!」さつきが叫ぶとお父さんは間延びした声で。「そりゃすごいぞ。お化け屋敷に住むのが小さい時からのお父さんの夢だったんだ」。メイが楠のほらでトトロに会ったと言いい、お父さんとさつきをそこへ連れて行こうとしてたどり着けなかった時も、「メイのこと、嘘つきだなんて思っていないよ。でもいつもトトロに会えるとは限らない」と言って慰める。大人にとって突拍子のないことでも、子供の言うことを百%受け入れて、それに暖かく応える。なんていいお父さんなのだろう。独身時代はこんなお父さんになれたらいいなと思った。二児の父である現在、「くだらないこと言ってないで、さっさと宿題でも済ませなさい」そう言いかねない自分が少し情けない。

 ある日七国山病院で療養中のお母さんを見舞いに行く。さつきとメイは、お母さんもお化け屋敷に住んでみたいと言うのを聞いてほっとする。お母さんはさつきの髪をなでながら「短すぎない?相変わらずのくせっ毛ね。お母さんの小さい頃にそっくり」。「わたしも大きくなったら、お母さんの髪のようになるかな?」とさつきはうれしそうに聞く。メイのように抱きついたりはしないけれども、精一杯お母さんに甘えている。そんな何気ない親子の触れ合いにじんとくる。早く良くなってお化け屋敷で仲良く暮らしてねと応援してしまう。しかし、楽しみにしていたお母さんの外泊が、風邪をひいたため延期になってしまう。メイはお母さんに早く元気になってもらおうと、自分でもいだトウモロコシを七国山病院まで届けに行こうとして迷子になる。美しい夕焼け。必死でメイを探して、はだしで走るさつき。「メイのばか!すぐに迷子になるくせに」。さつきはトトロに会い、迷子になったメイを探してとお願いする。心配で胸も張り裂けんばかりのさつきを、もっさりとやさしく受け止め、のんびりと「にまー」っと笑うトトロ。こっ、これだよトトロの魅力は!トトロに呼ばれた猫バスは、さつきを乗せてメイを探し出す。えらいぞ、猫バス!そして二人は猫バスに乗って七国山病院まで行き、松の木の枝から病室を覗く。お父さんと話している元気そうなお母さんを見て安心し、トウモロコシを窓辺に残して帰っていく。それだけのストーリーだ。息を飲むようなアクションもないし、胸躍るロマンスもない。特筆すべきは、悪人が一人も出てこないこと。主人公一家はいうに及ばず、腕白坊のかん太もそのお婆ちゃんも、メイを一緒に探してくれた村人達もみんないい人なのだ。何にもまして、家族愛。夫婦の心の通い合い、親を慕う子供たちの気持ち、子供を大切に思う親心。素直で飾り気のない感情が、日常の会話やさりげない仕草、野の草花や小川の水面、塚森の楠や地蔵の祠にちりばめられていて、見る人を幸せな気持ちにする。愛情表現や愛情確認のため、I love you.を夫婦間でも親子間でも連発する外国映画に辟易してこの映画を見返すと、「そんなこと一言も言わなくても、ちゃんと分かるものなんだ。季節の移ろい、花鳥風月にことよせてそれを感じることができる。日本人に生まれて良かった」。と思いを新たにする。その感情の根底には、対立ではなく調和を重んじる農耕民族のDNAと、森羅万象ひとつひとつに人智を超えた何かが存在するというアニミズムの思想があるのだろう。それを象徴しているのがトトロであり猫バスであり、真っ黒くろすけなのだ。だがそれが子供にしか見えないというのは寂しい。大人にはけっして見えないのではなく、見ようとしていないのだ。忘れてしまったことを、もう一度子供の頃の澄んだ瞳で見つめ直そう。それが宮崎駿氏のわれわれ日本人に対するテーゼであり、自然や環境に背を向けてきた文明社会へのアンチテーゼなのだろう。

 「お父さんいいのがあるよ」。トトロ関連グッズを見つけると息子が私を呼ぶ。「買ったら〜」と言って娘はちゃっかり自分のおもちゃを添えて買わせようとする。二人とも大人気ない私の趣味を半ばあきれながら楽しんでいるようだ。細君の反応は少し微妙だ。なんでも彼女の話によると、出会った頃の私の印象は「気障ですかしたヤツ」であったらしいのだが、トトロが好きだと聞いて、一気に親近感が高まったそうである。子供たちにいつか話して聞かせよう。「君たちがこの世にいるのもトトロのおかげである」と。


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